マーフィーの「日々是好日」
 

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2017年03月28日(火)

久しぶりにラジオ出演してきました♪ [エピソード]

3月27日(月)に、ラジオ日経の「トレードパーティ♪」という番組にゲスト出演してきました。

http://market.radionikkei.jp/tradeparty/327ustream_live.html

番組は、上記URLにて、オンデマンドにて視聴できます。

また、ユーストリーム配信となっていますので、テレビの感覚で視聴して頂けます。お楽しみいただければ幸いです。

尚、番組内では、時間制限があったものの、私の相場判断、トレード手法である、スパンモデル、スーパーボリンジャーについて、さわりの部分だけですが、簡単に解説させていただきました。

また、新サインツールである、スパンオートシグナルについても、少しだけご紹介させていただきました。ご参考になれば、嬉しいです。ちなみに、番組進行中に、新サインツールのチャートが突然現れなくなった時は、かなり焦りました。しかし、おかげさまで、何とか、表示できたので、良かったです。パソコン環境の違いからのトラブルは致し方ないですね。

尚、ラジオ日経の番組には、久々の出演ということで、当日、多くのスタッフの方々とご挨拶させていただきました。皆さま、私のことをしっかりと覚えて下さっていて、大勢の人に囲まれて、幸せな気分でした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


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Posted at 23時13分 パーマリンク


2014年12月28日(日)

1つのことを徹底的に信じて行うことの大切さ [エピソード]

皆様はご自分の力、能力を心の底から信じていますか?

自分は何でもこなせる、やり遂げることが出来ると思っている人がいれば、相当な自惚れか、楽天家なのかもしれません。ひょっとしたら、生まれながらにして、大きな事を成し遂げる人かもしれません。

現実問題、人間誰しもそうですが、そう簡単に自分のことを信じることは出来ません。もちろん、誰しも自分自身にプライドがあるはずですし、絶対に譲れない面があると思います。しかしながら、自分の能力をとことんまで信じている人が多くはないと思います。

ここで、私自身のエピソードを少しお話したいと思います。

私は、マーケットの世界に1984年8月に入りました。実際にポジションを持ってトレードを始めたのは、翌年1985年の4月からでした。邦銀ニューヨーク支店にて、ドルマルクディーラーとして相場の世界でデビューしたのです。

当時世界最強の通貨と言われたドイツマルクは現在ユーロに取って代られていますので、ユーロドルのトレードであったわけです。当然の結果ですが、マーケットの洗礼を思いっきり受けました。何故、自分をこの恐ろしいマーケット部門に配属したのだろうと、人事を恨んだくらいでした。

しかし、世界経済、金融のど真ん中に位置する外国為替市場にて、外国為替のトレードを出来る喜びも同時に感じました。そして、自分次第で結果を残せ、また、個人単位で評価してくれるという体質、カルチャーがとっても気に入りました。ともすれば、大きな組織の中で埋もれてしまうかもしれないサラリーマンの一人であった自分が、自分を主張出来る数少ない仕事であると思ったのです。

そこで体験したのは、一種の「天職」めいた感触でした。シンクロニシティが重なって、たまたまディーリング部門に配属されたわけですが、そこで、一種の「ひらめき」を感じ取ったのです。「気づき」と言い換えても良いかもしれません。自分はこの世界でやっていきたいという、ぼんやりした願望を心底に強く持ったのです。

しかしながら、現実の目の前の相場、マーケットはあまりにも冷酷でした(私にはそう感じました)。いったいこんな世界で自分が生き残れるのかという不安、心配ばかりの毎日を送っていました。

2か月連続でマイナスという収益結果を出しましたので、ボスである上司は、私の配置換えを考えていたはずです。しかし私は、何とかしようともがいた結果、これに頼ろうと思ったのは「チャート」でした。

ポイントアンドフィギャーという、○と×の印をつける単純なチャートでした。先輩に聞いたところ、たまたま教えてくれたものでしたが、私はそれしか知らないことや、自分に残された時間は少なかったので、ただ信じて頼る以外になかったのです。自分なりにチャートの作成方法を調べ、さっそく方眼紙に書き始めました。

どこで買い、どこで売るかというポイントをこのチャートだけで判断したのです。竹やりにも劣る、しかし、自分にとっては唯一信じることの出来る手段でした。それでも、何と、私はこのチャートのお陰で次第に収益を残せるトレードを出来るようになったのです。正直、その当時のことを思い出してみて、ただ、チャートが示すシグナルを信じるだけでした。

そこには余計な疑いの余地はなく、世の中のポジション云々、経済指標云々等の「材料」「要因」が入り込むことはありませんでした。ただ、ただ、チャートを信じて邁進していったのです。

そして、3か月目が終わろうとする月末に、何と、月間損益を、ほんの僅かながらもプラスにすることが出来たのです。月間10万ドル(当時約2500万円)の損失限度額を2か月連続でほぼ使い切った上に、3か月目の途中までやはりマイナスであったのが、月末日に、ほんの僅かではありましたが、プラス(収益)にすることが出来たのです!!

それまで、ニューヨーク支店内のディーリングルーム内で、ドルマルクディーラーとして、通算でプラスの収益に出来た先輩ディーラーはほとんどいないと言われていた中での出来事でした。この出来事をきっかけに、私は、不思議と、自信めいたものが自分の中に生まれてきたのを感じました。

いずれにしても、この僅かながらのプラスの収益のお陰で、あと数か月はディーリングを続けるチャンスを頂戴したわけです。そして、その後、信じる者こそ救われる、の境地で、自分の「竹やり」手段を信じて、コンスタントに収益を残し続けていったのです。まさか、その後、約30年後の現在もマーケットに関わる人生を歩めるとは全く予想だにしていませんでした。

思い起こせば、「信じること」を徹底したお陰で、自分の運命を切り拓くことが出来たのです。自分が好きだと思ったことを、ただ続けたいと願望を持ったことは事実ですが、それに加えて、信じ続けることで救われたわけです。

もし、あの時、あれもこれもと救いを求めていたら、自分は「助からなかった」かもしれません。「あれかこれか」で救いを求めたのが良かったのだと痛感しています。そして、その後、紆余曲折があったにせよ、自分のトレードスタイルを長い年月を掛けて築き上げてきたわけです。

ここで私が申し上げたいのは、まずは、何かを信じること、そして、徹底的にやってみることです。そうすれば、今度は、自分自身に対する自信につながっていきます。自分自身を信じることが出来るようになるのです。皆様の将来もきっと、皆様の希望されるようになるはずです。以上、信じることの大切さについて、私のエピソードを交えてお話させて頂きました。

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Posted at 13時48分 パーマリンク


2014年04月07日(月)

ディーラーの世界(7) [エピソード]

ところで、私のいた邦銀はディーリングに対する理解があり、やる気のあるディーラーや収益力のあるディーラーには次々と仕事を与える風潮がありました。

ニューヨーク支店の場合で言うと、成績に応じてポジション枠が増えたり、損失限度額が増額されたりしたのです。特に驚いたことは、日本の銀行であるにも関わらず、上司よりも部下の方のポジション枠が大きくなるケースもあったことです。これにはさすがに戸惑いましたが、上司の方がとても素晴らしい方でしたので、 少なくとも面と向かって嫌な風をされなくて本当に助かったと今更ながら思います。

そして、怖いチーフディーラー氏は部下である、その私の上司に対して、私に相場観を押し付けたりせず、自由勝手にディールをやるように「業務命令」を下したのです。何ともはや、恐ろしい世界に来たものだと痛感しました。

如何に日本を代表する大銀行であっても、ここは、市場を相手にするディーリングルームです。社内での相場観など、何の役にも立ちません。上司 であろうが、部下であろうが、稼いでなんぼ、の世界なのです。もちろん、節度ある職場規律はしっかりと守られており、ディーリング以外では明確に上司、部下の師弟関係は保たれていたことは言うまでもありません。

そのような、外資系でも厳し過ぎると思われる環境・条件の中で、私のディー ラーとしての基礎は叩き上げられていったのです。前にも書きましたように、「プラザ合意」があったところで、ニューヨーク市場はドル売り円買い一辺倒の市 場ではなく、「プラザ合意」のあった1985年の翌年1986年1年間を通しても、ニューヨーク市場オープン(朝8時半)からクローズ(夕方5時)にかけてドルが上昇した日が45%、下落した日が55%という結果でした。毎日、一体全体上がるのか、下がるのか、自分の相場観(あくまで直感)と竹やり武器で ある○×チャートだけが頼りだったのです。

やがて、「ファンダメンタルズ」なるものを勉強しなければ「格好悪い」と感じ始めた私は、手 当たり次第に経済指標の勉強や、外資系が作成している英文レポートを読み出しました。FRBの金融政策に関する書籍を購入したりもしました。それでも、得た知識が日常のディールに役立ったことは残念ながら記憶になく、むしろ余計なことを考える習慣がついた為に、経済指標発表後の反応が遅れることがあったぐらいです。

私の場合、幸いなことに、米系銀行に多くの友人を作ることが出来ました。それこそ、天下のシティバンクやBOA、 J.P.Morgan等のドル円チーフディーラーやドルマルクチーフディーラーとも仲良しになれたのです。

性格が根っからのお調子者であった為、ボスに 「お友達の外資系の連中は何か言っている?」なんて質問されると、嬉しくなって、怖いもの知らずにあちこち電話してはマーケット情報を聞きにいったのです。

彼らも、最初はこちらをそれほど相手にしてくれなかったものの、次第にインターバンク市場にてコンスタントに互いにプライスを呼び合ったりしている と、彼ら自身の方から興味を持ってくれたらしく、夕刻、市場が引けてから一緒に飲みに行くほどの関係に発展していったのです。

何と言っても、こちらは日本人であり、G5以降、円は特に投機の対象になっており、日本の事情をちょっと話すだけで、充分興味をもって付き合ってくれたものです。 そして、たまに、ディーラーのパーティーがあると、出来るだけ参加するようにしました。一部の日本の銀行もインターバンク市場に参加してはいましたが、私の在籍していた邦銀ニューヨーク支店はニューヨーク市場にて益々存在感を高めていったのです。

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プロフィール

マーフィ

インテリジェンス・テクノロジーズ代表

柾木利彦

1980年、大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)を卒業後、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。
ニューヨーク支店、東京本部の ドル円チーフディーラーを経て、1992年米銀大手の『シティバンク』や欧州系大手の『オランダ銀行』東京支店などで外国為替部長として外銀最大級のトレーディングチームを率いて活躍、現在に到る。その間、「東京市場委員会」での副議長や「東京フォレックスクラブ」委員などを歴任。卓越した市場関連知識でもって、テレビ、ラジオ、新聞などで数多くの情報発信を行い、東京外国為替市場の発展に貢献。自身、過去24年に及ぶトレード経験に基づき、独自のチャート分析 (「スパンモデル」「スーパーボリンジャー」等)を確立。
個人投資家に向けて最強の投資法を伝授することをライフワークとして、現在も精力的に取り組んでいる。

活動状況・著書

Murphy's Blog
マーフィーの最強FX投資法を伝授
マーフィー最強スパンモデル
短期〜長期 初心者〜プロまで使える究極の実践的トレード手法
直伝!FX投資法
有料メルマガ&掲示板。実践トレード・コーチング。

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